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不滅の力

努力・精進

釈尊

1991/07/07

発刊

出典
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私は、あまりにも多くのことを
おまえたちに期待しているかもしれぬ。
おまえたちは、その期待の重さに
胸つぶれる思いがしているかもしれぬ。
また、無限の努力・精進を重ねてゆかねばならぬことに、
さて、いったい、どこまでこの意志を貫くことができるかと、
いぶかっているかもしれぬ。

されど、私はおまえたちに言おう。
おまえたちの本来の力は、
かくのごとき弱きものではないということを。
おまえたちは、偉大な偉大な力を持っているのだ。
そのことを忘れてはならない。
たとえ、今世限りの話をしてみても、
今世、学んだことは、おまえたちの力になるであろうし、
今世、さまざまなスポーツで鍛えた筋肉だとて、
無駄にはなるまい。
そのように、今世限り獲得したものでさえ、
おまえたちの力になるというのであるならば、
ましてや、幾転生、幾十転生、幾百転生、
我が下で、共に過ごしてきたならば、
その力が、世人の及ぶところであろうはずもない。
おまえたちは、それだけ永い間、
仏の弟子として、修行を重ねてきたのだ。
不退転の決意の下に、
必ず、きょうよりもあす、
あすよりもあさってということを合い言葉として、
うまずたゆまず、努力を重ねてきたのだ。
そのおまえたちが、
少々のことで心をぐらつかせ、
少々のことで退転してしまうとは、
私にはとうてい思えないのだ。
師と弟子とは、心のなかで、
深い深いきずなによって結ばれている。
このきずなを断ち切ることは、難しいものであるのだ。
我は、過去、幾千、幾万の教えをおまえたちに説いてきた。
その教えの尊きことも当然であるが、
その教えを生み出してゆく、その過程において、
我が努力を重ねていたことをもって、
おまえたちに
「参考にせよ」と、
言い続けてきたはずである。
すなわち、
「わが後ろ姿を見よ」
「わが背に従いこよ」と、
言い続けてきたはずである。
師である私が、
まったく別格の存在として、
一切の修行を排し、そして尊いのであるならば、
おまえたちは、自分の非力を感じて、
精進をあきらめてしまうかもしれぬ。
しかし、師である私も、
あらゆる転生の機会において、
努力・精進を積み重ねてきたのだ。
師であり続けるためには、
弟子以上の努力・精進を積み重ねることは、
当然であると思う。
その私の後ろ姿を見て、おまえたちも、
「あのように努力をすれば、やがては自分も、
そのような境地に到達できるのではないか」と考えたはずだ。

そのとおり。
我は、何度も何度もおまえたちに言った。
人間には、すべて等しく仏性の力が宿っている。
仏性とは、仏と同じ性質が宿っているということなのだ。
仏と同じ性質が宿っておりながら、
仏と同じ境地に達していないということは、
過去の修行が、まだ充分ではなかったのであり、
今世の修行も、まだ充分ではなかったということなのだ。
さすれば、過去を語っても、いまさら始まるまい。
今日ただいまより、精進を積み重ねる以外にないではないか。
その精進の姿をこそ、まず我に示せ。
その精進の姿をこそ、我が前に示せ。

永遠の仏陀(旧版) P.172-176
永遠の仏陀(改訂新版) P.214-218

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