世界の人々に“第二の誕生日”を与えるのが幸福の科学の使命です |
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(1989年)7月7日、幸福の科学研修ホールで、大川先生のお誕生日パーティーが行なわれました。 職員とボランティアの方を合わせて約百人が集い、 先生へのプレゼント贈呈、職員有志による各種アトラクションなど、アットホームな雰囲気のパーティーでした。 この中で、大川先生から以下のようなお話がありました。 大川先生のお誕生日をそれぞれにお祝いされていた会員のみなさまへ、 先生からのメッセージです。 世界の人びとに“第二の誕生日”を与えるのが幸福の科学の使命です みなさん、 今日はわざわざお集まりいただきましてありがとうございます。 去年は、 まだ十人ぐらいで(バースデーパーティーを)していただいたのですが、 もう百人弱、 来年は、 さ来年はと、 会場のことを考えると頭が痛くなってきます。 でも、 やはり発展というのはありがたいものだなぁ、 というふうに感じます。 順番に(毎年)減っていくのだったら、 これはさぞかし辛かろうと思うのですが、 だんだんによくなっていくというのは、 うれしいものだなぁ、 と思います。 思い返せば三年前の七月七日、 どうしていたかなというと、 呱呱の声をあげると言いますか、 うぶ声をあげる直前でございまして、 まったく赤ちゃんみたいに無力でございまして、 七月七日ですと、 もう退社を一週間後に控えまして、 ボチボチあいさつしたりしていました。 そのころ、 ちょうどパーティーが会社のほうであったのですが、 みんなが立食パーティーをしているところで、 隅のほうで、 こう、 申し訳なさそうに“裏切り者”という声を聞きながら、 一人ポツンと立っていたのを、 つい昨日のことのように思います。 そして、 その時は、 実際どうなっていくんだろうかという見通しもなく、 ただ『太陽の法』に書いてありますように、 高級諸霊の声だけが頼りで、 みなさんが全員、 即座に辞めろということでしたので、 本を出している以上、 もうこれは従わざるをえない、 ということで会社を辞めて、 この道に入ったわけです。 その後、 三年間の歩みをふり返ってみると、 やはりちょうどいい時期だったなぁ、 と自分でも思います。 ですから、 その最初の出発点の思いがあるものですから、 私もいろいろ迷った時に、 最後には、 神の意向に従うという気持ちを、 今でも強く持っております。 さて、 今日特別にお話しておきたいことは何であるかというと、 不思議なもので「与えれば与えられる」ということがありますが、 自分というものを捨てて、 他の人のために生きようかと思うと、 逆に多くの人の協力を受けることもできますし、 みなさんにお祝いをしてもらおうと思って、 ぺつに出家したわけではなかったのですが、 こういうふうにしていただけるようにもなりました。 けっして打算で言うわけではなくて、 この法則というのは、 本当に天地を貫いている法則であろうと思います。 今日、 みなさんにお祝いしていただいたこの気持ちを、 また多くの人にお還しして、 そして今後いっそう大きな、 何と言いますか、 日本人のみならず、 世界の人びとの第二の誕生日をつくるために努力してみたい、 そういうふうに思います。 霊的に生まれ変わるということを第二の誕生日とするならば、 みなさんに第二の誕生日を与えるのが幸福の科学の使命である、 そのように思います。 多くの人びとを生まれ変わらせ、 第二の誕生日をつくるために、 今後とも活動したいと思います。 ありがとうございました。 |
月刊誌 1989年8月号 P.80 |
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