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永遠の仏陀

我は救世主以上のもの

釈尊

1991/07/07

発刊

出典
諸々の比丘、比丘尼たちよ。
この、わが懐かしき声を、
魂の奥底にまで刻んでおくがよい。
おまえたちは、二千六百年の時空間を経て、
ふたたび、わが声を聴いているのである。

この地上にて生命ある時に、
わが声を聴く者は、幸いである。
すべてのものを打ち捨ててでも、
この幸いなる瞬間を選び取るべきなのである。

我は、久遠の仏、永遠の仏陀である。
幾転生、幾十転生、幾百転生を通じて、
我は、
久遠の仏であり続け、
久遠の師であり続け、
永遠の仏陀であり続けた。

永遠の仏陀とは、すなわち、これ、
永遠の法そのものである。
永遠の法とは、すなわち、これ、
宇宙の根本たる神の心。
それを、則として、教えとして、体現しているものである。
あなたがたは、よくよく、この価値を知らなくてはならない。
わが語る、この言葉の、片言隻語さえ見逃してはならない。
確実に読み取り、わがものとせねばならぬ。

ああ、幾星霜を経て、
久しく師と弟子の契りを結んだ者たちよ。
いまの時代が、風雲急を告げ、救世の時代であることは、
おまえたちにも、ひしひしと分かってきたことであろう。

しかし、この、わが言葉をよくよく聴くがよい。
我は、救世主として、この世に来たのではない。
我は、救世主以上のものとして、この世に来たのである。
この地上の人々を救うということは、
わが説く法が、
人々の心にしみわたり、学び尽くされた時に、
おのずと、そうなるのである。
しかし、わが説く教えは、
地上の人々を救うという、
そうした目的そのものに矮小化されてしまうものではなく、
それ以上のものであるのだ。
このわが言葉、このわが教え、それに基づいて、
この宇宙は、この世界は、創られたのだ。

永遠の仏陀(旧版) P.172-176
永遠の仏陀(改訂新版) P.214-218

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