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くり返し、おまえたちに告げる。 このわが教えは、 単に、おまえたちの心を救うがためにのみ、 説かれているのではない。 この教えを本(もと)として、全宇宙は統べられているのだ。 この教えを実現すべく、 人類の過去・現在・未来があり、 人類なき過去にも、 この教えは厳然としてあり、 人類なき未来にも、 また、あるであろうということを、 私は明言しておく。 このわが説く法は、 人間の出現に先立ち、 人間の消滅におくれて、 なおもあるものである。 教えとは、姿を変えたる神そのものであるということを、 おまえたちは知らなくてはならない。 わが教えを読むは、神を見ると同じなのである。 神を知らんと欲せば、わが教えを見よ。 その教えこそが、姿形なき神の実体なのである。 おまえたちは、空を見上げて、神を見んとするか。 おまえたちは、目を閉じて、神を見んとするか。 おまえたちは、想像のなかで、神を見んとするか。 それとも、 おまえたちは、霊的なる目を開いて、神の姿を見んとするか。 いずれの試みも、虚しく終わるであろう。 そう、真実の神とは、姿形なきものである。 真実の神とは、 この地上を超えた実在世界にある高級霊の姿をとった、 その霊的実在でもない。 その霊的実在を超えたるものが、真実の神であり、 真実の神の姿は、教えに表れているのだ。 よくよく聴くがよい。 手で神をさわらんとし、目で神を見んとし、 その体の大きさに合わせて神を測ろうとする者たちよ。 神とは、 おまえたちの五官によって捉えられるものではない。 おまえたちの想像するようなものではない。 神とは、法であり、 神とは、教えであるのだ。 わが説く、この法こそが、 わが説く、この教えこそが、 神の実体の本質であるのだ。 わが教えを学ぶ時、 おまえたちは神の姿を見たのである。 わが教えを聴く時、 おまえたちは神の声を聴いたのである。 わが教えを理解する時、 おまえたちは神の心を理解したのである。 くり返し、くり返し、言う。 神とは、姿形なきもの。 神とは、人間を超えたるもの。 しかして、霊を超えたるものでもある。 神とは、人間的なる感覚を超越し、 この宇宙を統べるところの、 教えそのものとなっている存在なのだ。 おまえたちは、 その手にしているページの一枚、一枚に、 神の姿を見ているのである。 神とは何であるかを知りたくば、 わが説く教えを、深く深く、理解せんとせよ。 そこに、 神とは何であるかという、その問いに対する答えが、 明らかに現れてくるであろう。 |
永遠の仏陀(旧版) P.176-182 永遠の仏陀(改訂新版) P.218-225 |
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